わたしのすがた 巣鴨・西巣鴨周辺

明るさの薄い、晴れた日の14時半頃。
おおきな穴と、もくもくした真っ白な雲に覆われた空をみてたら、自分がちっぽけすぎだと思いました。
だいだいの家に着いて入口の張り紙見たら、一気に心が引き込まれそうになったけど、
お邪魔して座ってみたら、なんか落ち着いてきました。
窓の隙間から差し込むけだるい午後の光って、こんなにきれいなんだと揺さぶられました。
住んでいた女性は、ひっそりと穏やかにやさしく過ごされたんだと思うにおいがしました。
道途中の日常雑貨屋で、ずっと欲しかったナースシューズがあったので購入してみました。
教会に入りました。
蜂の羽音やたくさんの懺悔が、背後から追ってくるようで近くて逃げることができませんでした。
懺悔の部屋に篭ったら、今だに消す事のできない残酷な自分の気持ちが蘇ってきました。
時々思い出す事が、唯一の償いなのかもしれません。
最後は診療所に向いました。
知らない世界を見ているのに、時の流れを感じたり懐かしさもありました。
最初のおおきな穴をもう1度見たくなって、もどりました。
のぞいてみるとからっぽでなく、形としては見えることのない気持ちみたいなものがたくさん入ってるようで、吸い込まれそうな気がしました。
次の日は、あうるすぽっとでシンポジウム。
「おばけやしき」と「わたしのすがた」の違いは?と聞かれた飴屋さんは「人間の骨が置いてあるところ」と答えました。
そのあまりにも端的な返答は、実際の展示を越えてしまったかと思うくらいに、深く、深く、私の中に刻みこまれて残りました。
2週間ほど経って、少し曇りな16時頃に再び訪れてみました。
前回は空間に身を任せて、そこに住んでいた人達や自分を眺めてるような感覚でしたが、
今回とある場所で、前回気付いてなかったところを見ていたら、あれっと思いました。
「わたしのすがた」というのは私とか、居た人達のすがたでもあるけれど、飴屋さんのすがたという、フィルタを透して見ていたんだと。
その瞬間、推理小説の謎が解けたように、頭の中の靄がすーっと流れるように消えていきました。