息もできない ヒューマントラストシネマ有楽町

(前、ネストで雑談中に)「最近映画を見てない」って飴屋さんが言ってたのを聞いて、メモってたのに見に行けてないまんまの作品があったのを思い出しました。
もうあんまり日が無いし行けるかなあ、と思ってたらひょんとタイミングが合って、仕事帰りに猛ダッシュで銀座へ。
ぶっきらぼうな言葉の数より暴力的な描写が途轍もなく多いけれど、その痛みですら上回るかのように心の中にしまい込んでる想い(や傷)が違う痛みとして伝わってきて、それがどうしようもないくらいの繊細さで見てて辛い響きを感じました。
そんな中で、なにかはっきりとはしないけど繋がるような気持ちをお互いに持つ事ができるサンフンとヨニをみてると、二人がふと気を許せる瞬間を精一杯やさしい気持ちで見てしまってる自分がいて、恥ずかしいような気もしたけれど、そういう見方であってもいいかなと思ったし、それしかできないんだとも思いました。
肉親の死とか別れをもろに直視しなければならなくて、状況は違えども25年以上も経ってからの方が思い出すことの多い自分の現実と重ねてみると、ほんの少しだけれどもわかるような気がしたからだと思うのですが、前向きで純粋に誠実なやさしさや想いが込められていたサンフンのとった行動や考えを思い出しても、こみ上げてくるものを抑えきれてないままのような気がしています。