わたしのすがた 跡展 巣鴨・西巣鴨周辺

夜勤前に行ったので、初めての暗い時間帯の体験でした。
おおきな穴は塞がれてたけど、また掘り起こす時のしるしのように、まるい跡がうっすらあってほっとしました。
忘れかけた頃に、またおおきな穴ができてるかもしれない、と思いました。
だいだいの家は、目の前で人(観客)が行きかってるのに、引越した後のように住人の気配が消えたようでした。
せっかくなのでスリッパを履かず、しばらくぺたりと座ってみました。
友達に会いに行ったのにまだ帰宅してなくて、帰るまでそこで待たせてもらってるのと似たような、ひっそりした感じ。
物だけが、静かに無言で、動くことなくありました。
教会に行くと懺悔の言葉がきれいに消えていました。
どんなに白く塗り込められても、記憶の中は残っています。
時々ちゃんと思い出すように・・・という意味のような気がしました。
診療所までの道のりが遠いのか近いのかわからないけれど、慣れたような気になってずんずん歩いてく。
入ってすぐ、短期間で変わり果てた景色に心が動かされてしまいました。
日に日に成長してそうなふかふかな土がすっかり消え、機も衣類も消え、ベッドが消え、お骨は骨壷の中に入って置かれてました。
お墓参りに行くと、姿の見えない父親に話しかけてしまうように、心の中でその方に話しかけてみました。
面識は無いはずで初対面だけれども、その方からはわたしのすがたが見えてるかもしれないと、なぜか普通に話しかけ(てしまいました)、拝みました。
それによって、人の気配の無さ(実際、人は何人もいらしてました)に少し動揺していた自分に落ち着きが出てきたのと、ここを訪れた最後のしるしが刻まれたような、そんな気がしました。
最後にもう一度だけ、おおきな穴の跡を見る為にしすがも創造舎にもどると、飴屋さんが一人佇んでらしたのでいつものように手をふったら、しんみりと丁寧にお辞儀をされました。
最後の最後を見届けてたかのような、なのにそこを遮ってしまい申し訳ない気持ちになりました。
少し経って再びそこを通ると、もう飴屋さんのすがたはありませんでした。
時刻を見ると20時すぎだったので、跡展の終了時間と同時にふっと消えてしまったかのようでした。